東京地方裁判所 昭和40年(ヨ)2221号 判決 1969年5月31日
申請人 山本栄
右代理人弁護士 宮里邦雄
同 坂本修
同 植木敬夫
同 簑輪幸代
被申請人 興国化学工業株式会社
右代表者代表取締役 小林勇
右代理人弁護士 出射義夫
同 神山欣治
同 内藤貞夫
主文
申請人が被申請人に対し労働契約上の権利を有することを仮りに定める。
被申請人は申請人に対し、昭和四〇年八月から本案判決確定に至るまで、毎月二五日限り二五、一一二円の割合による金員を仮りに支払え。
申請費用は被申請人の負担とする。
事実
≪省略≫
理由
一、労働契約の成立と解雇の意思表示
申請人が昭和三五年三月運動靴・マットレス用スポンジの製造等を営む会社に雇われ、庶務部購買課に勤務していたところ、会社が申請人に対し、同四〇年七月一四日解雇予告手当として三〇日分の平均賃金を弁済提供のうえ同日限りで解雇する旨の意思表示をしたことは、当事者間に争いがない。
二、本件解雇に至る経緯
1 会社の就業規則三五条、五四条、五五条にそれぞれ被申請人主張の内容どおりの定めがあること、申請人が同四〇年二月頃から六月頃までの間会社の施設内において日本共産党中央機関紙アカハタを社員に配布し、配布されたアカハタの一部に、会社が扱っているジャングル・シューズの製造・販売等に反対する記事が掲載されていたこと、申請人が被申請人主張のように会社用紙を私用に費消したこと、申請人が入社時会社に対して被申請人主張の誓約書を差し入れていたこと、申請人が同年七月一四日会社上司からアカハタの前記配布について調査を受けたこと、以上の各事実はすべて当事者間に争いがない。
2 ≪証拠省略≫を総合すると、次の事実を一応認定することができる。すなわち、
本件アカハタは、特定の読者である購買課の机を並べている同僚三名に対して、残業中の同僚の机の上に置いたりしたこともあるが、主として就業時間外に配布され、これにより申請人また同僚の執務に別段の支障は生じなかったところ、会社は同年七月一二日頃たまたま右配布先等を記入した会社用紙数枚使用の申請人のノート(これが被申請人主張の会社用紙の私用であるが、一枚一円程度のものである。)を入手してアカハタ配布の事実を察知したため、これが就業規則五四条六号にあたり、業務阻害のおそれがあることを慮り、配布先の同僚について右配布の状況等を確かめたうえ、会社資材部長および人事部副部長(中途から購買課長も加わる。)において、前記一四日午前一〇時過ぎ頃申請人を会社常務室に呼び、事情聴取を始めた。
まづ、申請人に対して、「君が会社の許可のない文書を社内で配布しているという話を聞いたが本当か。」「配布したとすれば、その日時、相手方は誰か」、「配布が就業規則で禁止されていることは知っているだろう」等と問いただしたところ、同人は、黙秘し、また、「答える必要はない、」「思想の自由は憲法で保障されているから、質問は不当である」等と答え、色々と説得してみたが一向に態度が変らないため、「就業規則は従業員の服務について種々定めてあり、君はこれを守る旨の誓約書も会社に差し入れているから、今后就業規則を守る意思はないのか」と念を押したところ、「就業規則は憲法の保障する自由を拘束しているから憲法違反である。また、会社が一方的に定めたものでもあるから、守る必要はない、」「誓約書は入社時内容もよく分らぬまま差し入れたもので反故に等しい」等と申請人は反論した。なお、右の念を押す問答の際、双方とも個々の就業規則の定めを取り上げて、これを守るかどうかにつき言及はしなかった。そして、最後に会社側から、「今後もアカハタ配布を続けるかどうか」を問いただしたところ、申請人は、本件配布が会社に発覚した以上今後これを継続することはできないと考えたものの、その場は上司の意向に屈服する形になるのを肯んぜず、黙秘の態度を取り、かような経緯を辿って事情聴取は正午頃終ったところ、その間常務室は終始重苦しい雰囲気に包まれていた。
三、解雇理由
前掲各証言によると、会社は、申請人の調査時における以上の態度は、採用時における誓約に反して就業規則に従うことを将来共全面的に否定するものにほかならず、これは同規則三五条一〇号および八号に該当すると考え、同条項を適用して本件解雇をしたことが一応認定できる。
申請人は、本件解雇は申請人のアカハタ配布それ自体を理由とするものである旨主張しているが、本件に顕出された全資料を検討しても、右認定を覆して本件解雇がアカハタ配布それ自体を理由とするものであることを認めるには足りない。
四、解雇の効力
1 前記二の2で認定した事実からすると、申請人は前記調査を担当した上司に対して、就業規則また誓約書による誓約を、外見上は全面的に否定する趣旨の態度を表明したといわざるをえないが、これは、申請人が当時におけるその場の雰囲気と互に交された言葉のゆきがかり上大げさに述べたまでのものであり、本人の真意が就業規則等会社の定めを全面的に否定するものではなく、文書配布を規制した五四条六号の規定のみを否定したにすぎないことは、本件調査が同条違反の点に終始したことそれ自体から、また、当事者間に争いのない、申請人が右調査から約一年前の同三九年六月一日会社から職務精励を理由に表彰されている事実からみても明らかであるから、申請人の真意が以上のとおりであることは、調査を担当した資材部長らにおいても、当時容易に知りまた知りうべき状況にあったといわざるをえない。次に、五四条六号の規定の将来の遵守の有無については、申請人は本件調査時、アカハタ配布を将来継続する意思を積極的に示しておらず、先に認定した程度のアカハタの配布行為が五四条六号に定める事由にあたるといいうるかどうか疑いがあるばかりでなく、たとえこれを肯定するとしても、会社において申請人の配布の事実とこれが配布先を承知している以上、仮りに同人が配布を将来共継続するとしても、会社側においてこれを察知して事前に防止することは容易であるといえるから、同種行為の反覆により職場秩序また会社業務が阻害されるおそれは極めて乏しかったというべきである。
2 以上からすると、申請人の上司に対する前記態度は、就業規則三五条一〇号および八号の定めに一応該当しなくはないが、会社において、申請人が右態度をとった真意を確かめることなく、また、同人に若干の時日の余裕を与えて就業規則の今後における遵守状況如何を見守ることもせず、入社后五年余り経過し職務精励により表彰まで受けた申請人に対し、前記態度を理由として調査当日直ちに解雇をもって臨むことは、余りにも酷に過ぎるものといえよう。そうだとすると、他に解雇理由についてなんら主張のない本件においては、本件解雇の意思表示は、結局会社の恣意によるもので解雇権の乱用に該当すると解すべきである。
申請人において、本件解雇がアカハタ配布それ自体を理由とすることを前提として、前掲五四条六号の違憲性を強く主張し、この問題を本件において最重要視していることは、弁論の全趣旨から明らかであるが、その前提となるべき解雇理由がしからざることはすでに判断したとおりである。もっとも、本件解雇事由に即して考える場合においても、同号の規定の効力が問題となることは否定できないが、仮りにこれが有効と解したとしても、本件解雇の意思表示が以上述べたように解雇権の乱用に該当する以上、同号の規定の効力につき判断することは、本件の場合必要でない。
五、被保全権利の存在
以上判断したように、会社が申請人に対してなした解雇の意思表示は、解雇権の乱用としてその効力を生ずるに由なく、申請人は会社に対し、なお労働契約上の権利を有しているというべきであるから、会社が解雇を理由に申請人の就労を拒否する限り、その就労不能は、労務給付の債権者たる会社の責めに帰すべき事由によるものであり、その債務者たる申請人は反対給付たる賃金の支払を受ける権利を失わない。
そして、申請人が本件解雇当時会社から平均賃金月額二五、一一二円を毎月二〇日締切りの二五日払いで支払を受けていたことは当事者間に争いがないから、会社は申請人に対し同四〇年八月以降毎月二五日限り二五、一一二円の割合による賃金を支払う義務がある。
六、保全の必要性
弁論の全趣旨によると、申請人は会社から支給される賃金によって生活していることが認められるから、他に恒常的に就職して収入を得ている等の特段の事情のない限り、本案訴訟による救済を受けるまでの間、会社から従業員としての地位を否定され、以上の賃金中支払期の到来している分が即時に支払われず、また、将来生ずべき賃金を、その支払日に支払われないときは、生活に窮し著しい損害を蒙るおそれがあると推認するのが相当である。
≪証拠省略≫によると、申請人は、本件解雇から約一年三ヶ月経過した昭和四一年一〇月一八日頃、本件解雇の不当性を訴えるとともに会社を「死の商人」ときめつけ、ジャングルシューズの製造中止を要求するビラを会社従業員に配布した事実を一応認定することができ、また、労働市場の現状が被申請人の主張するよう一般的に売手市況にあるということができるとしても、これらの事情から直ちに申請人に保全の必要性がないとはいえず、この点についての被申請人の見解は採用できない。
七、結論
よって、本件仮処分申請は、被保全権利の存在およびこれが保全の必要性について疎明があるから、申請人に保証を立てさせないで主文第一、二項記載の処分を命ずるのを相当と認め、申請費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 浅賀栄 裁判官 宮崎啓一 豊島利夫)